長岡に住んでいたのは幼稚園入園前まで。母から「城町」に住んでいて川の近くだったということしか知りません。それ以降の私の知識は新潟県第二の都市、花火で有名、それくらいでしょうか?
それがここ10年ほどで色んなイベントで長岡に行くようになり、記念館訪れたり、史跡を見たりしてちょっとずつ知識も増えてきました。
河合継之助記念館は小さな記念館ですが、映画上映の勢いで大きなポスターが貼られていて、入り口を入るとまずは彼が購入したという有名なガトリング砲とご対面です!
*越後の小藩が大枚はたいて購入したガトリング砲、日本に三台しかなかった!
そして等身大の河合継之助の像、「風雲 蒼龍窟」が印象的です。写真では眼力が半端ない感じですが、銅像は少し優しそうなまなざし、未来を見つめるような目に思えるのは私だけでしょうか?
*等身大像「風雲 蒼龍窟 河合継之助像」峰村哲也さん作
バスツアーということで、記念館スタッフさんの懇切丁寧な説明付き。丁寧なだけでなく、さすがに長岡人、河合継之助の人生に寄り添うような情熱的な解説で彼の激動の生涯を語ってくれました。
*常在戦場!河合継之助の座右の銘
大政奉還、時代の流れは新政府軍にありましたが、譜代大名として続いてきた藩の立場や義理!?様々な状況から戦わざるを得なかった苦悩、その後も芳しいとは言えない戦況の中生涯を終えた河合継之助。彼は英雄なのでしょうか、それとも戦犯なのでしょうか?一体だれが、何が正しかったのか・・・歴史は常に勝った側の視点で語られるので私には正解は分かりません。江戸城は無血開城したけど、明治維新は決して綺麗事ではなかった、多くの犠牲者が出たcivil war(内戦)だったこと。正義というのは立場や見方によって変わること、歴史でさえも正解を出せない、そんなことを考えさせられました。
*長岡藩旗・五間梯子と藩主・牧野家の家紋・三つ柏
という言葉が印象に残りました。
学生の頃歴史はあまり好きでなく、単なる暗記科目だと思っていました。
でも、世界情勢を見ても分かりますが、歴史は繰り返され、情けないことに同じ過ちも繰り返されます。私たちは歴史から学ばなければならない、いつだれが何をしたかだけではなく、どうしてそんなことに至ったのかを学ばなければならないと痛切に思います。それも一面的にだけでなく、多面的に見るようにしないと。
新潟に帰って映画「峠」も見ました。
それにしても米百俵の小林虎三郎もそうですし、長岡藩士には語るに足る逸材が結構いたのですね。長い日本の歴史の中でも時代が大きくうねり変わる時に生まれ、その波の中で揉まれた多くの逸材たちの中の一部なのでしょうが。
温泉でリラックスした後では、ちょっと考えさせられる旅になりました。
今の令和の時代でそんな男たち、いえ男に限りませんがそんな気概や信念を持った日本人はいるのでしょうか、などと少し悲観的になってしまいました。
バスツアーの最後に長岡道の駅に寄りました。花火館で映像は見られませんでしたが、地域振興券付きのツアーなので、長岡のお菓子(花火模様のどら焼き)や蕗味噌など購入!でも、一番良いお土産は桐で作られたマウスパッド!!花火模様がついていて長岡を思い出します!
使い心地、手触り最高☆
*今日のひとこと
歴史は学ぶ価値があります!地元の歴史を知り伝えるのも大事かなと思います。