新潟日和~けこさんのときめきスポット~

全国の中でも微妙な位置にある新潟☆自分なりのときめきスポットをご紹介

会津若松~鶴ヶ城~

会津のシンボル、会津人の心のよりどころ。戊辰戦争後、政府の命令で天守閣が取り壊されましたが、市民の願いが叶い1964年(昭和40年)に復元され、2023年にさらに美しくリニューアルされた鶴ヶ城その昔、訪れたことはありましたが、あまりに昔過ぎて記憶にはほとんどなく、今回は心新たにワクワクして敷地内に足を踏み入れました。

日本のお城は本当に美しいですね!

看板に鶴ヶ城(若松城)と書いてある!どちらでもいいんですね。会津若松城でもいいみたい。でも、やはり鶴ヶ城の呼び名がピンと来るなあ。

どこのお城もそうなんでしょうけど、ちゃんと兵法!?や戦略に則った造りで、石の積み方、お城へ続く道、橋、堀なども当時の知恵と計算、技術が詰まっていると思われます。もちろん、地の利や城主の好みなども加味されるのでしょうが。

廊下橋!!この橋も敵が迫ってきたら落としてしまうように作られているらしいです。

ここは写真スポットです!と教えられました。石の積み方がすごい!場所によって積み方が違います。面白いですね♡

リニューアルした内部は会津の歴史館のような感じで、戊辰戦争前後の会津の様子をしることができます。代々の城主、日本の女子教育の先駆者新島八重子についても詳しい資料が展示されていました。

展望層から見える会津の風景。連なる山々と、木々の緑が印象的です。昔のお殿様はこういう光景をいつも見ていたのでしょうか?

この辺りは鶴ヶ城ベストフォトスポットということで写真撮影の順番待ちしてる人もいました。

ホントに美城💛

ご城印ゲット~♪

敷地内に「麟閣」という立派な茶室がありました。

その昔、千利休豊臣秀吉の怒りに触れ、死を命じられた後、時の会津城主「蒲生氏郷」が利休の子少庵を会津にかくまい、千家の最高を願い出たとか。この時に建てたのがこの麟閣だそうです。昔から会津藩主は文化を愛する心と気概があったのですね。

そしてここにも赤べこちゃん💛こんなに愛されている郷土のシンボルってすごい!お天気も良く、鶴ヶ城満喫して大満足でした~♪

*おまけ*

その日は東山温泉に宿泊しましたが、(多分小学校の…新潟から来たのかなぁ??)修学旅行の生徒さんがいっぱいでした。私もその昔、修学旅行で来ました・・・こんな立派なホテルではなかったけど。楽しく学びの多い旅行ができるといいですね☆

ホテルの売店赤べこがいっぱい♪

ハロウィーンの時期だったので、大浴場へ続く通路にこんなお洒落な演出も。

そして、こちらの温泉むすめは・・・

「温泉組隊長 東山季利花参る!!東山温泉の明日は明るいで候!!」

新選組!?のような衣装。きりっとしてカッコいい温泉娘さんでした~❤

会津若松

私が子供の頃、新潟市の小学校の修学旅行といえば福島で、会津若松鶴ヶ城五色沼などが定番コースだった。新潟市からほど近く、便利で見所も結構あったからだろう。その後、子供たちの修学旅行コースではなくなったが、家族では何回か訪れた。

そして「鶴ヶ城に行こう!」と思い立ち、紅葉が始まる頃に訪れた。

会津若松!幕末の歴史を感じる町!素朴ながら物語のある町!

赤べこと白虎隊がお出向かえ!まだ幼い感じのする白虎隊士の見つめる先は鶴ヶ城・・・!?

至る所で見られる赤べここんなに愛される郷土のシンボルって他ではめったに見られないのでは??

そしてSL電車が今でも走る磐越西線らしく「C57形蒸気機関車の動輪」がやはり駅前に展示されています。ピッカピカ!

駅前の地下通路もやはり鶴ヶ城!こういうのいいですよね💛

意外と苦労したのがお昼ごはんを食べられる場所(笑)スマホでも検索したのだけど。

駅の近くでレストランや料理屋らしきところが見当たらず・・・

結局歩いているうちに見つけた、駅近の喜多方ラーメンの店「来夢」に。

喜多方ラーメンの定義は分からないのですが、ちょっと麵に特徴があったかな(色が濃い目でちょい太目)

とりあえずお腹がいっぱいになったので、いざ目指すは鶴ヶ城!!

鶴ヶ城近くで見つけたNHK大河ドラマで有名な「八重の桜」の新島八重子像!!私が尊敬する女性の一人です。激動の世の中を生きて、女性の教育の先駆者であり、看護婦の地位向上などにも貢献した会津の誇る明治の偉大な女性。

そして、お目当ての鶴ヶ城へ向かいます!天守閣が4月28日にグランドオープンしたと大きな看板が!!聞いた話では、全体的にもリニューアルして見所がたくさんあるとか。楽しみ~❤

*おまけ*

鶴ヶ城は色々感動的だったので次回じっくりと・・・(^^)

 

東京ドーム(野球観戦ではない・・・)

9月末にQuizKnockのクイズラリーに参加しに東京ドームに行きました。

小石川後楽園から直行したのですが、近いとはいえ広大な敷地!!見えているのだけど辿り着くのが遠いという逃げ水!?的な感じ(変な表現でごめんなさい)

帰路

ここからまだ暫く歩き・・・

おっ!やっと東京ドームに着いたかな??

しかしクイズラリーはどこで??

歩いているうちに面白いモニュメント!?物体に遭遇。なに??

さらに現場に行くまでジャイアンツショップやファンシーショップ、レストランなどを覗いたり。何と言っても東京ドームは広大過ぎて、どこでクイズラリーをやっているのかも分からず、係員さんに聞きまくり、汗かきまくり!そして係員さんもアルバイト?のせいかよく分からずあちこちで右往左往。そして判明したのはクイズラリーのエリアは道路を渡った向こう側orz恐るべし東京ドーム・・・

そしてようやっと研究ノート勇気のペンをゲットして、冒険の旅という名前のアトラクション巡りを(笑)クイズラリーは時間の関係で楽なコースを選んだのだけど・・・

若者でもなく家族連れでもないのは私だけでは・・・というパーティのない一人旅(;;)若いグループが、あーでもない、こーでもない、と楽しそうに歩いている横を黙々と目標を探す。慣れてないので、ヒントのある場所に行くのも四苦八苦。すらすら解けるのもあるけど、???と考え込む謎もあり。

また、アトラクションに乗らなければヒントももらえない場所もあり、結構動き回りました。

↑これもヒント!

あちこちにヒントが散在・・・

ヒントをゲットするために!こんなイベントがなければ絶対乗らないアトラクションにもチャレンジ。相当頭と足と体力を使い、途中お昼休憩も入れて・・・結果的にはと~っても楽しかった💛歩いているうちに、色んな景色やトリビアに遭遇し。

ヒント探しの旅の途中で遭遇した小石川七福神の「福禄寿」様。思いもかけずありがたく、拝んでしまいました。

クイズラリーは、ここで終わり!?と思ったらまだその先があったり、更なるトリックがあったり。さすがQuizKnockという感じでしたが、最後に完走者が行けるパーティに参加して(その時間はなんと私一人^^;)楽しくやった~と叫んで終了!

午前中は小石川後楽園、午後は東京ドームでクイズラリー、暑く熱い一日で大満足で帰路につきました~♪

*おまけ*

来年(もし又あったら)ショートコースではなく、一日かける長い冒険の旅に挑んでみたいな~♪

小石川後楽園~東京ドームを望む~

大分時が経ってしまいましたが、夏の終わりに東京ドームで「QuizKnockの謎解きラリー」に挑戦しに行きました(^^;)←前回書いたようにこれが上京のお目当て。

東京ドームは初めてで、調べてみたらごく近くに「小石川後楽園」があるのを見つけました。都会のど真ん中で庭園いいね!ということでホテルも小石川後楽園近くのホテルを予約し。

東京ドームに向かう前にまずは小石川後楽園に向かいました💛

小石川後楽園は江戸時代に水戸藩の屋敷内に作られた庭園で、中国明の遺臣、朱舜水が設計に加わったとされ、中国風の趣がそこはかとなくあります。その後、明治時代から観光地として広く知られるようになったとか。

また、岡山市にある後楽園と区別するために「小石川後楽園」という名称になったのは、大正時代のことだそうです。でも、その後もこの近辺には後楽園という地名が残ったということです(私なんかは長い間東京の後楽園しか知らなかったですが、日本三名園の一つは岡山の方なんですよね・・・)

ホテルの近くの入り口から入ったので多分ここは正面ではないのですが・・・外国人観光客に混ざって入りました(笑)平日だったせいか、そんなに人は多くなかったですが、日本人と外国人と半々くらいで、外国人の多さにお上りさんびっくりでした。

中は・・・まさに都会の庭園。広い遊歩道や池の向こうに都会の高層ビルが見えるのが新鮮です!

都会の喧騒の中にある小石川後楽園は、まさにオアシス。四季に合わせて、いろいろな植物が園内を彩るそうです。とにかく中心にある池が庭園の要になっています。

静と動というか、和と洋というか昔と今というか、視覚的GAPが萌えポイント。中央大学↓や東京ドームも見えます。

池をめぐる周遊コースも秀逸で、行く先々でデザインが異なり飽きさせません。

個人的には黄門さま案山子が受けました。

黄門さま愛されてますね❤

唐門!戦争で焼失していたものを復元したものだそうで、藩屋敷の内庭と後楽園を結ぶ創建当時の正門!?写真スポットでたくさんの人が写真を撮っていました。

これが↑の方で書いた中国明の朱舜水の設計と指導で作られたとされる円月橋!石造りアーチ橋として国内最古の一つだそうです(↓がその説明書きです)

散歩するには最適な広さ、所々休みながら少しずつ違う景色を眺めるのも一興です。

東京でこんなにゆったりと時間の流れる空間を楽しめたのは幸せでした。

*おまけの一言*

東京ドームのクイズラリー目当てで上京しましたが、短時間ながら後楽園も堪能でき、すごく得した気分でした♪

あまり花の咲いてない時期でしたが、春や秋ももっと深まった頃ならさぞ美しいだろうな、と思いました。それも十分以上に目と心の保養になりました!!

ふと思ったのは、新潟市では白山公園にいるとこんな気分になるなあ、と。

規模や神社がメインの公園と違いはあれ、都会の中のオアシス、池を中心にしたデザイン、など共通点も多いです。やはり緑の木々と水、これは日本の原風景かな~。

有楽町!?~新潟からたまには飛び出して~

有楽町で逢いましょうこのフレーズ知ってる人は相当年齢行ってます(私もだけど^^;)

その昔フランク永井さんが歌って大ヒットした曲名。一躍有楽町が全国的に有名に。有楽町ってなんだか大人のイメージ。新潟とは全然関係ないけど、新潟出身の友達と会うために有楽町で待ち合わせ!多分40年以上ぶり!?なんかちょっとテンションアップ。

LUMINE、マツキヨはいいとして、なになに、駅前にん?朝日新聞!?松竹!?東宝!?高層ビルにそんな看板を見るだけでまたまたテンションアップ!そうだった、有楽町は映画と劇場の町だった!!完璧なお上りさんモード(笑)

待ち合わせはビックカメラ前。ビックカメラ有楽町店のキャラクター「有楽町たん」発見!!

この後、有楽町の居酒屋で楽しく飲んで♪食べて♪喋って♪ほろ酔いで帰途に♪

この時の上京は東京ドームで開催されていたQuizKnock(クイズノック)の謎解きアドベンチャーに参加するため←笑わないでください!クイズ謎解き大好きです💛

ホテルも東京ドーム近くに取ったのですが、ホテル近くの地下鉄の入り口があまりにSFチックでシュールでワクワク。夜に見たらちょっと異次元。

なんかすごくない!!やっぱ東京ってエキサイティングだな~って変に感動。ちょっと嬉しくなった東京の夜でした。

*補足*

この東京行は9月のことで大分前になるのですが、翌日訪れた後楽園や東京ドームも含めて、なんか色々記憶に強く残っていて、絶対書きたいと思っていました。ちょっと季節外れ、時間が経ってしまいましたが、新潟日和の番外編ということで、アップさせてもらいました☆

古津八幡山遺跡(秋葉区古津)

いや~、新潟市の近くにこんなに立派な遺跡があるとは知りませんでした。新潟市中央区からもほど近い。新潟には遺跡や古墳、思っている以上に多いとは知っていたのですが・・・

古津八幡山遺跡。

金津コミュニティセンターに某イベントで訪れた際、職員の方から教えていただき、

「この辺に古墳があるんですよ。知ってました?」「いえ~知りませんが・・・」「ご案内しましょう」ということでご案内していただきました。

まあ、なんと立派な遺跡!周辺もきれいに整備されていて史跡巡りとしても散歩コースとしても良いところで感動しました。

高台にあり、下の町や平野が見下ろせます。

聞いたところによると古津八幡山遺跡は弥生時代の大規模な高地性環濠集落で、県内最大の古墳があるそうです。知らなかった~!こんな近くに、こんな立派な遺跡や古墳があるなんて!いや、多分新潟市民知らない人多いですよ。もったいない・・・

今では史跡公園として整備されていて、古代の生活を偲ばせる住居もあります。

住居は復元したもので、本当はどうか分かりませんが、多分こんな感じの住居に住んでいたんだろうな、と。

天気のいい日なら一晩くらい過ごせそうですよね(笑)

煮炊きもできるのでは・・・という雰囲気。

この日は天気も良く、ここで音楽フェスティバルとか開いたらよさそ~なんて思ってしまいました。古代人になりきった「古代フェスティバル」なんかもいいですよね♪
麓にはガイダンス施設「弥生の丘展示館」があります。そうか、ここは弥生の丘、というのか。

ちょっと感動したので、家に帰ってから周りの人に話したら、結構知っている人がいて、新津在住で散歩コースです、という人もいました。
縄文時代の遺跡から、弥生時代の遺跡、新潟県内、知らない遺跡が多いです。機会があったらできるだけ見てみたいです。こんなにきれいに整備しているんですもの。普段は考えない古代の生活、その土地の歴史に思いを馳せてみるのもいいですね。

*おまけの一言*

本当に偶然知った古墳でしたが、ちょっとした歴史ロマンに浸れました。こういう出会いは嬉しいですね💛

 

 

 

新潟奉行 川村修就展~新潟県歴史博物館みなとぴあ~

随分日が経ってしまいましたが、9月まで歴史博物館みなとぴあで、新潟奉行「川村修就展」が開催されていました。

信濃川沿いに立てられた文化観光スポット「みなとぴあ」Love♡

新潟の歴史に関するお話や書物を見ていく中で、何度も「川村修就」の名前を見てきました。私の頭の中では新潟の初代お奉行さまで新潟の町づくりに貢献した偉い人、みたいな感じに思ってました。

川村修就像

家紋入りの旗!

戦がなくてもやはりそれなりの武士は兜甲冑はいつでも備えてたんですね。確かこれは将軍様!?から下賜されたものだったような・・・
まあ、当たらずと言えど遠からずでしたが、展示を見ていく中で高い理想と責任感、そして実行力のあった人だったのだ、と再確認。

砲術の知識を生かして大砲を鋳造して対外防衛に努めたり、さらには文化に対しての興味や造詣も深く、庶民の暮らしを描かせた絵画や随想なども残している文武両道の人だったんだ、と知りました。

大砲!?

私が彼のことを知ったのは海風や砂に悩まされていた新潟の海岸に、砂防林を作り、砂防植栽の功績をたたえ、西海岸公園に銅像が建てられた頃(1993年)。こんなお奉行さまがいたんだ~と。今に繋がる仕事をしてくれて。本当に感謝しなければいけませんね。

修就の植樹地の図。

また、お奉行さまなので(イメージは大岡越前や遠山の金さん笑)お裁きもたくさん行ったとの記録が。それも結構な名裁き。

当時の奉行所の模型もありました。

賭けかるた事件(左)行方不明?実は・・(右)当時実際起きた事件についての展示も。

行政官としても立派だったし、裁判などの司法もしっかりできた名奉行だったんだな~と。

また、↑でも書きましたが、新潟の庶民の暮らしにも関心を持っていて絵を描かせたり、書物に残したりしています。

上が盆踊り、下が鮭大網というタイトルの絵。

お祭りかな?
川村修就は新潟奉行の後、堺、大阪、長崎の奉行となり晩年は東京で過ごしました。みなとぴあでは川村家の家系図やその後の川村家のことも知ることができました。

将軍様から下賜された着物!?

修就の娘?さんのお嫁入り道具だったかな(記憶がおぼろげですいません)
ざっくりですが、彼について少し分かったような気がしました。天領になってからの初奉行!新潟の発展のため真摯に努力してくれて、また新潟の風土、風物を愛してくれた人だったのではないか、と思います。確かに名奉行だったんでしょうね。

いや、政治家はこうあってほしいものです(ん?)

資料もいっぱいあり、川村修就のこと、当時の新潟のこと、ちょっとタイムスリップして覗き見た気分になりました。

*おまけ*

入り口に川村修就の鎧を参考にして作ったという(ペットボトルで作った!?)鎧が並んでいてなかなかの出来に感心しました!

*さらにおまけ*

ちょっと興味深かったのはお庭番の家系に生まれたとのこと。忍者!?と一瞬思いましたが、江戸時代末期にまだ忍者という存在はあったのでしょうか?間諜とかスパイとかいう存在はあったと思うのですが・・・川村家の祖先は忍びの者だったのかな、などと思いを巡らせました。

以前読んだ「妻はくノ一」という風野真知雄さんの小説で、主人公のくノ一の上司(お庭番)が確か川村なにがしでした。川村というのは結構有名なお庭番の家系なのかな??

などと歴史ロマンス??にも浸って良い気分になりました♪