随分日が経ってしまいましたが、9月まで歴史博物館みなとぴあで、新潟奉行「川村修就展」が開催されていました。
信濃川沿いに立てられた文化観光スポット「みなとぴあ」Love♡
新潟の歴史に関するお話や書物を見ていく中で、何度も「川村修就」の名前を見てきました。私の頭の中では新潟の初代お奉行さまで新潟の町づくりに貢献した偉い人、みたいな感じに思ってました。
川村修就像
家紋入りの旗!
戦がなくてもやはりそれなりの武士は兜甲冑はいつでも備えてたんですね。確かこれは将軍様!?から下賜されたものだったような・・・
まあ、当たらずと言えど遠からずでしたが、展示を見ていく中で高い理想と責任感、そして実行力のあった人だったのだ、と再確認。
砲術の知識を生かして大砲を鋳造して対外防衛に努めたり、さらには文化に対しての興味や造詣も深く、庶民の暮らしを描かせた絵画や随想なども残している文武両道の人だったんだ、と知りました。
大砲!?
私が彼のことを知ったのは海風や砂に悩まされていた新潟の海岸に、砂防林を作り、砂防植栽の功績をたたえ、西海岸公園に銅像が建てられた頃(1993年)。こんなお奉行さまがいたんだ~と。今に繋がる仕事をしてくれて。本当に感謝しなければいけませんね。
修就の植樹地の図。
また、お奉行さまなので(イメージは大岡越前や遠山の金さん笑)お裁きもたくさん行ったとの記録が。それも結構な名裁き。
当時の奉行所の模型もありました。
賭けかるた事件(左)行方不明?実は・・(右)当時実際起きた事件についての展示も。
行政官としても立派だったし、裁判などの司法もしっかりできた名奉行だったんだな~と。
また、↑でも書きましたが、新潟の庶民の暮らしにも関心を持っていて絵を描かせたり、書物に残したりしています。
上が盆踊り、下が鮭大網というタイトルの絵。
お祭りかな?
川村修就は新潟奉行の後、堺、大阪、長崎の奉行となり晩年は東京で過ごしました。みなとぴあでは川村家の家系図やその後の川村家のことも知ることができました。
将軍様から下賜された着物!?
修就の娘?さんのお嫁入り道具だったかな(記憶がおぼろげですいません)
ざっくりですが、彼について少し分かったような気がしました。天領になってからの初奉行!新潟の発展のため真摯に努力してくれて、また新潟の風土、風物を愛してくれた人だったのではないか、と思います。確かに名奉行だったんでしょうね。
いや、政治家はこうあってほしいものです(ん?)
資料もいっぱいあり、川村修就のこと、当時の新潟のこと、ちょっとタイムスリップして覗き見た気分になりました。
*おまけ*
入り口に川村修就の鎧を参考にして作ったという(ペットボトルで作った!?)鎧が並んでいてなかなかの出来に感心しました!
*さらにおまけ*
ちょっと興味深かったのはお庭番の家系に生まれたとのこと。忍者!?と一瞬思いましたが、江戸時代末期にまだ忍者という存在はあったのでしょうか?間諜とかスパイとかいう存在はあったと思うのですが・・・川村家の祖先は忍びの者だったのかな、などと思いを巡らせました。
以前読んだ「妻はくノ一」という風野真知雄さんの小説で、主人公のくノ一の上司(お庭番)が確か川村なにがしでした。川村というのは結構有名なお庭番の家系なのかな??
などと歴史ロマンス??にも浸って良い気分になりました♪